こんにちは、ハマりだすととことんハマる昭和男キビタンです。
前回は、こんな記事を書きました。
その後、さっそく購入したのが『本居宣長「うひ山ぶみ」』(白石良夫著/講談社学術文庫)。
まだ冒頭の部分しか読んでいないのですが、すでに「おおぉぉぉ!」と感動しているのでその話を。
「うひ山ぶみ」が生まれたいきさつ
そもそも「うひ山ぶみ」は本居宣長が晩年に著した書物で、古学を学ぶ心構えや、学問のあるべき姿などについて教示しています。(まだ読んでませんけど)
白石先生の解説によると、こんないきさつだったようです・・・
- 宣長数えで69歳のとき『古事記伝』の完成祝賀の宴がひらかれた
- その席で弟子たちから初学者向け入門書の執筆をすすめられた
- さっそく宣長はとりかかり、ひと月弱かけて書き終えた
これが寛政十年(1798)、いまから225年前のこと。
後々まで読み継がれる書物がこのようにできたなんて、それを知るだけでも感動です。
巻末に添えた歌
書き上げた宣長先生は、巻末に歌を一首添えます。
「いかならむうひ山ぶみのあさごろも浅きすそ野のしるべばかりも」
(はじめての山歩きに着る粗末な麻布のような、こんな拙いわたしの教えでも、せめて初学の標(しるべ)にはなるだろう)
『本居宣長「うひ山ぶみ」』12頁より
いやぁ~、なんともかっこいいじゃありませんか!
私が言うのもおこがましいですが、宣長先生センス良過ぎでしょ!
「うひ山ぶみ」って、「はじめての山歩き」という意味だったんですね。
不思議な言葉だったので、ようやく合点がいきました。
山の深さも知らずに「あさごろも」を着てはじめて山に向かう者のような、そんな浅学の私が教えるのもどうかと思うが、広く浅く山にやって来る者たちの案内役くらいにはなれるだろう(キビタン訳)
っていうことですよね、たぶん。
『古事記伝』44巻は、実に34年かけて執筆した大著。
それほどの仕事を成し遂げたあとに、こんな謙虚な歌を詠める宣長先生、ほんとかっこ良過ぎです。
「山の深さは多くの者にはわからないだろうが、登山口くらいなら教えて進ぜよう」と歌っても、だれも文句を言わないはず。
それを、自分もまだまだだが・・・のような歌を詠めるなんて。
こんな謙虚さが、宣長先生が多くの人から慕われた、いやいまも慕われる秘密なんでしょうね。
まとめ
まとめ
- 「うひ山ぶみ」は「古事記伝」の完成祝賀会で弟子たちからすすめられて書いた
- 「はじめての山歩き」という意味
- 巻末に添えた歌一首に由来する題名
ますます読みたくなりました「うひ山ぶみ」。また感動したことを書いてみますね!