こんにちは、やっぱり紙の本じゃないと読んだ気がしない昭和男キビタンです。
すでに本ブログで何度か取り上げた江戸時代の偉人・本居宣長先生。
弟子たちに請われて学問を志す者の心構えを説いた著作『うひ山ぶみ』を、引き続き読んでいるところです。
「うひ山ぶみ」とは「初登山」という意味で、
自分もまだ山の深さを知り得てはいないが、あとから登って来る者たちの標(しるべ)くらいは示せるだろう
との思いが込められています。
寛政十年(1798年)、いまから225年も昔のことです。
本書のいきさつについては、「うひ山ぶみ」ってそういう意味だったんですね本居宣長先生!をご参照ください。
今回学んだポイント
『うひ山ぶみ』は「総論」と「各論」に分けて書かれいます。
すでに「総論」だけでもなるほどと教えられることが多くありますので、紹介したいと思います。
今回のポイントはこちら↓↓
「うひ山ぶみ・総論」からの学び
- テキストは広くさらりと見ながら何度も読み返せ
- 自ら注釈を作れ
- 自らも歌をよめ
テキストは広くさらりと見ながら何度も読み返せ
まずは、該当箇所を引用します。(太字・赤字は私)
凡 て件の書ども、かならずしも次第を定めてよむにも及ばず。ただ便にまかせて、次第にかかはらず、これをもかれをも見るべし。
『本居宣長「うひ山ぶみ」』(白石良夫/講談社学術文庫)73-74頁
又、いづれの書をよむとても、初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず。まづ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、これやかれやと読みては、又さきによみたる書へ立ちかへりつつ、幾遍もよむうちには、始に聞えざりし事もそろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也。
【口語訳】
すべてそれらの書物を読むのに、かならずしも順序をきめて読まなければならないことはない。 ただ便宜にまかせて、順序にかかわらず、あれこれと読めばいいのである。
また、どんな書物を読むのにも、初心のうちは、はじめから文義を理解しようとしてはいけない。まずおおまかにさらっと見て、ほかの文献にうつり、これやかれやと読んで、さらに前に読んだものにかえればいい。それを繰り返せば、最初に理解できなかったことも徐々 にわかるようになるものだ。
まとめてみると、
- 書物は順序にかまわずあれこれと読め
- 最初から逐一理解しようとするな
- 最初はさらさらと見ながらどんどん読め
- それをくり返すうちにわかってくる
ということですね。
これは、いまの時代の私たちにもためになるアドバイスではないでしょうか。
私など、つい最初からじっくり時間をかけすぎて、結局途中で放ったらかしになることがしばしばです。
本屋で衝動買いしたまま“ツン読”になっているものも少なくありません。
思うに、ヘンに完璧主義なところがあって、だいたいで読んでいくっていうのができないんですよね。
でも、宣長先生の「まづ大抵にさらさらと見て」って、いい表現だと思いませんか?
ちょっと肩の力が抜ける気がします。
「最初から理解できる者などいないのだから、さらさらと見て、それをくり返せばいいんだよ」と、やさしく言ってくれるかのようです。
宣長先生が多くの弟子に慕われた、優れた教師だったのもわかります。
自ら注釈を作れ
さて又、五十音のとりさばき、 かなづかひなど、必ずこころがくべきわざ也。語釈は緊要にあらず。
漢籍をもまじへよむべし。
(中略)
さて又、段々学間に入りたちて、事の大すぢも大抵は合点のゆけるほどにもなりなば、いづれにもあれ、古書の注釈を作らんと早く心がくべし。物の注釈をするは、すべて大きに学問のためになること也。【口語訳】
前掲書74-77頁
五十音図に関する扱い、仮名遣などは、必修のことである。 語釈は緊要ではない。
漢籍をも交え読むべきである。
(中略)
しだいに学問の世界に入っていって、その大筋が理解できるようになったならば、なんでもいいから、古典の注釈を作るように心掛けるべきである。 注釈は、学問のためには大いに有効である。
訳者の白石良夫先生の注釈によると、「五十音図」はずいぶん昔にできていたようです。
<現存最古の音図は、11世紀初頭の『孔雀経音義』に記されたもの>だそうですから、なんと平安時代ということになります。
ここでの宣長先生のアドバイスは、
- 大筋が理解できたら古典の注釈を作れ
です。
「いえいえ、私のような薄学の者がめっそうもございません」と、尻込みする弟子たちの姿が目に浮かびます。
しかし、それが学問に有効だと宣長先生は言うのです。
そこには、個々人の学びにとって有効という面と、学問全体にとって有効という二つの意味があったのではないでしょうか。
なんせ宣長先生は、若干17歳のときに、「世に出回っている日本地図は間違いが多いので、自分がちゃんとした地図を作る」と、たたみ一畳もあるほどの詳細な日本地図を描いたひとです。(写真参照)
他人からの恩恵を受けるだけでなく、自らも積極的に使いよい参考書を作り、人にも教えていくことが自他の学問に有効だ、ということなのでしょう。
「学びは受け身じゃだめだよ」ということですね。
自らも歌をよめ
さて、上にいへるごとく、二典の次には、万葉集をよく学ぶべし。みづからも古風の歌をまなびてよむべし。 すべて人はかならず歌をよむべきものなる内にいにしへこころみやびも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也。 歌をよまでは、古の世のはしき意風雅のおもむきはしりがたし。 万葉の歌の中にても、やすらかに長高くのびらかなるすがたをならひてよむべ し。 又、長歌をもよむべし。
【口語訳】
前掲書78-79頁
さて、さきに述べたように、記紀二典のつぎには、『万葉集』をよく学ばねばならない。 そして、みずからも古風の歌をまなんで詠むのがよい。 人というものは、かならず歌を詠むはずのもので、なかでも学問をするほどの者は、なおさら詠まなくてはかなわぬものである。歌を詠まなくては、古語の微妙な意味、風雅の趣は知ることができない。『万葉集』の歌のなかでも、やすらかでたけ高く、のびらかなる歌にならって詠むのがいい。また、長歌をも詠むべきである。
ここでいう「二典」とは、『古事記』『日本書紀』のことです。
宣長先生は、この二書を土台としつつ、さらに『万葉集』を学べといいます。
- 万葉集を学び、自らも歌をよめ
- 歌を詠まなければ、いにしえの人の心の機微を理解できない
宣長先生が学びと実践を重んずる理由が、ここにあります。
宣長先生自身、生涯で一万首を超える歌を詠んだといわれます。
自ら歌会も開き、人々と歌詠みの楽しさや奥深さを分かち合いました。
そういえば、この本の題名は「うひ山ぶみ」でした。
山についていくら本で学んだり、話を聞いたりしても、わかったことにはなりません。
自らも山に踏み入ってこそ、山の素晴らしさや、難しさ、奥深さを体験的に知ることができる。
やれプロだ、アマだと、そんなことに関係なく、自らも歌を詠むべし。
宣長先生の教えは、とてもシンプルです。
最後に、本居宣長記念館に展示されていた、宣長先生の古書の蔵書の写真を載せておきます。
くり返し読み込んだことが、ひと目でわかります。
倣いたいものですね。
まとめ
「うひ山ぶみ・総論」からの学び
- テキストは広くさらりと見ながら何度も読み返せ→そのうちわかってくる
- 自ら注釈を作れ→学問に有効である
- 自らも歌をよめ→昔のひとの心がわかる