今年の夏の甲子園、盛り上がりましたね~。
個人的には、慶応高校の小宅投手が印象に残りました。
きれいなフォームから繰り出す伸びのある直球、抜群のコントロール。
まだ2年生、来年も楽しみです。
あ、キビタンは元高校球児なので、野球を語りだしたら止まらないんですよ(笑)
私自身は甲子園には程遠い高校でしたけど、甲子園といえば最高の思い出があります。
私の野球観戦史上、間違いなく最高の試合。
それは、1998年夏の甲子園決勝「横浜vs.京都成章」の試合です。
野球ファンならもうおわかりでしょう。
後にプロ野球やメジャーリーグで活躍した横浜高・松坂大輔投手が、ノーヒットノーランで優勝を決めたあの一戦です。
貴重な“生写真”とともに、振り返ってみたいと思います。
早朝から行列の甲子園
当時はまだ残っていた夜行列車に乗って大阪入り。
朝まだ薄暗い5時過ぎに甲子園球場に到着。
松坂人気もあり、すでに入場券売り場には行列ができつつありました。
当時はいまのように前売り制ではなく、当日券を買って入りました。ネット裏で千円くらいだったかな?
試合開始は13時、9時開場予定でしたが、続々と人が増えて混乱してきたので、それよりかなり早く開場したように記憶しています。
即効でネット裏にダッシュ。
おかげで、キャッチャーの真後ろ、テレビ中継にも映るほどの前列席がとれました。
ここに座るから
~話は、前日の準決勝~
「横浜vs.明徳義塾」は、終盤に横浜が大逆転でサヨナラ勝ちという劇的な幕切れ。
会社のテレビで見ていた私は、「うおー、横浜すげーー」と大興奮。
その場で女子従業員に、「明日、オレ、見に行くから!ネット裏のこの辺に黄色い帽子かぶって座るから!」と、画面を指差しながら宣言したのでした。
なので、だいたいその辺りの席がとれたと満足でした。
試合開始までどうやって時間をつぶしたのか忘れましたが、憧れの甲子園のグラウンドを眺めているだけで十分幸せ。
そのうち決勝戦だけの特典、両校のバッティング練習が始まりました。
こちらは、松坂投手にバッティング指導をする渡辺監督。お気に入りの一枚です。
ネット裏には松坂投手の名前の由来ともなった、荒木大輔さんの姿も!やはりカッコイイですね。
ちなみに試合前には、準々決勝で名勝負を繰り広げたPL学園の選手たちが、ネット裏から1塁側横浜ベンチに手を振っていましたよ。
そして試合は始まった
いよいよ待ちに待った試合開始です!いまは懐かしいパノラマ写真!
プレイボールの瞬間、携帯が鳴りました。
誰だ、こんな大事なときに。
「もしもし?」と出ると、
「ほんとに座ってますねーー!びっくりーー!!」
会社の女子でした(笑)
「ちょっと手を振ってもらえますぅ?」
「え、ほんとに映ってるの?こ、こんな感じ?」と手を振ると、
「キャー、ほんとだーー!!」
あきらかに彼女のほうが興奮していました。
すると、近くのお客さんたちも、「ここ映ってるってよ」とそわそわ(笑)
まぁ、そんな感じで伝説の試合が始まったのでした。
松坂、調子悪い?
最終的には松坂投手がノーヒットノーランという大記録を達成するこの試合ですが、実は、試合開始直後の先頭バッターがもっとも痛烈な打球を飛ばしたんですよ。
そのことは、雑誌Numberの記事「あの1球で僕は目が覚めた」に詳しく書いてあります。
私は初球だと思っていましたが、記事を見ると2球目だったようです。
いずれにせよ、まだサイレンが鳴り止まないうちに、「カキーン」と完ぺきに捉えた打球がサードを襲ったのでした。
あれが抜けていれば大記録はなかったわけですから、勝負のあやは不思議なものです。
私の隣には、やはり野球経験者のお兄さんが一人で観戦していました。
意気投合していろいろ話しながら見ていましたのですが、序盤は二人とも松坂投手の球を見ながら、
「きょうは調子良くないね。球がきてないね」
などと言っていました。
そうなんです。
あの日の松坂投手は、はた目から見ても体が重そうでした。(先の記事でもそう語っていますね)
ストレートは走らず、おじぎしているようにさえ見えました。(全然伸びがないということ)
ところが、です。
3回、4回と回が進むごとに、次第にエンジンがかかってきたのがわかりました。
おじぎしていた球は打者に襲いかかるかのごとく唸りを上げ、カーブはまるで打者の頭の2~3m手前の壁にぶつかって曲がるかのようにガクッと落ちます。
5回、6回、あきらかに球場の空気が変わってきました。
こりゃ打てんわ
その頃には、隣のお兄さんも「これはどうやっても打てないね」。
普通、野球経験者なら、どんなに速いストレートでも「イチ、ニの、サン」で合わせていけば、とりあえず当てることはできる気がするものです。
しかし、松坂投手のストレートは次元が違いました。
仮に「イチ、ニの、サン」で打ちにいっても、絶対当たらない自信がある(笑)
それほど速い、というか唸っていた。
よく野球漫画でグニャリとつぶれた球がグオォーーと迫ってくる描写がありますが、あんな感じです。
怖いくらいなのです。
小山君のキャッチャーミットが、「バシッ」、「バシッ」とちぎれそうな音を立てます。
そのたびに、ネット裏からは「うっ」「うっ」と声にもならない声が上がっていました。
文字どおり言葉を失う剛球。
キャッチャーが捕らなかったら、そのままバックネットを突き破るかのような。
その迫力は、いまもありありと思い出せます。
衝撃だったカープ
さらに特記すべきは、カーブです。
先ほども書いたように、打者の頭の数メートル手前にコンクリートブロックか何かがあって、そこにぶつかって落ちるかのような、そんな鋭利でえげつない球でした。
私は、夏の甲子園の決勝戦は、この試合を含めて3試合をネット裏から見ています。
その経験から言えるのは、全国の決勝にまで進むチームですから、投手はまずコントロールが素晴らしい。
もちろん、ストレートも変化球も切れがある。
しかし、松坂投手は別次元でした。
他の高校生投手は、言ってみれば、投げた瞬間にストレートかカーブかがだいたいわかります。
ストレートならスッと出てくるし、カーブならフワッと出てくる。
ところが、松坂投手はまったくわかりません。
投げた瞬間、すべてが唸るストレートに見えます。
それが頭の手前でガクッと“何か”にぶつかって外角低めにビシッと落ちる。
こんなの高校生に打てるわけがありません。
後にイチロー選手と初対戦して3三振を奪ったときも、イチロー選手がこの変化球に驚いたといいます。
脳裏に焼き付いたある1球
徐々に、球場全体が異様な雰囲気に包まれ始めます。
松坂投手がベンチからマウンドに向かうたびに、「大輔、いけー!」と声援が飛びます。
8回、フォアボールで京都成章にノーアウト1塁のチャンスがきました。
この直後の“1球”もくっきりと脳裏に焼き付いています。
その“1球”とは投球ではなく、送球です。
次打者が投手前にバント、すばやくマウンドを駆け下りた松坂投手が振り向きざま2塁に投げたその球。
ものすごい勢いでグワーンと地表を滑るかのように糸を引き、ショートのグラブにバシッと収まったのです。
私はその軌道を、まさに後ろから見ることができました。
Numberの記事の後編では、京都成章の1番打者・澤井氏がこのときの光景を語っています。
<あれは今でも目に焼き付いているんですけど、松坂が二塁へ投げたボールが、ブワアーッとホップしたんです。ことごとく小さなチャンスの芽を消されていって、その1つ1つがノーヒットノーランのきっかけになっていくような感じがしたんです。>
Number『「ノーヒットノーランやっちゃえよ」松坂「あーあ、言っちゃった」甲子園決勝ノーノー寸前で起きた“事件”「本当に打たれたくないと思ったのは…」』より
大記録誕生
そして、迎えた最終回。
すでに球場は、あの甲子園特有の銀傘に反射する拍手が鳴りやまない状況です。
最後の打者が空振り三振。
新たな伝説が完成したのでした。
すっかり覚えてしまった横浜高校校歌。
いつの間にか西に傾いた陽射しが、あたたかくグランドに注ぐなか、閉会式。
メダルをかけられた両チームの選手たちが、満場の手拍子とともに場内を一周します。
雲はわき 光あふれて
天たかく 純白の球きょうぞ飛ぶ
若人よいざ まなじりは歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望
ああ栄冠は君に輝く
あれから25年。
松坂投手はプロにおいても幾多の名勝負を繰り広げ、野球ファンを楽しませてくれました。
そしていまでも、こうして“あの日”を思い出す私の心に、生涯でも数えるほどの美しい思い出を残してくれているのです。
松坂投手ありがとう
きょうは、取り留めもなく、思い出に浸りながら書いてしまいました。
長々とお読みいただき、ありがとうございます。
松坂投手、あらためてありがとう。
そして、あのときの隣のお兄さん、もしこれを読んで思い出したら連絡ください(笑)