こんにちは、「松月堂製パンのくりぃむぱん」がラグビーボールに見えるほどラグビー大好きな昭和男キビタンです。
ワールドカップ、盛り上がってきましたねー。
巨漢どうしのぶつかり合い、すり抜ける華麗なステップ、緻密な頭脳戦、もう見ているだけでワクワクします。
そんななか、「そうだ、あの本を読み直そう!」と取り出したのが、
『ハードワーク 勝つためのマインド・セッティング』(エディー・ジョーンズ著/講談社プラスアルファ文庫)
エディーさん、今回は母国オーストラリア代表「ワラビーズ」を率いていますが、なかなか苦戦の模様ですね。
次期日本代表ヘッドコーチの噂もあり、ご本人もピリピリしているという報道があったばかり。
そんなエディーさんの本を読み返して、あらためて一番印象に残ったことについて書いてみます。
日本人は努力不足!?
エディー・ジョーンズさんは、2012年から2015年までの4年間、日本代表のヘッドコーチとして日本ラグビーを率いました。
奥様が日本人ということもあり、相当な日本通でもあります。
その彼は、日本人の素晴らしさを高く評価しています。
日本人にしかない強い力――、それはいくつもあります。限りない粘り強さ、並外れた勤勉さ、きめ細かな技術、頭のよさ、そしてあの感動的な連帯感・・・・・・。
(本書6頁より)
帯にもあるように、これら日本人の素晴らしいところを活かせ、というのが彼の主張の骨格です。
しかし同時に、たいへん厳しいことを本書のなかで述べています。
なんと、いままで見てきた国のなかで日本人が一番努力不足だ、というのです。
私はいろんな国の選手を指導してきましたが、努力が一番不足していると感じたのは、日本人です。
(本書88頁より)
けっこう、ショックな発言ですよね。
エディーさんの真意は何でしょう?
私がコーチした日本人選手で、初めからきちんと100パーセントの努力をしている選手は、ほとんどいませんでした。
(本書88頁より)
これは日本の教育と社会のシステムに問題があるからだと思います。
エディーさんは元教師だったということもあり、日本の教育制度と関連づけて捉えているようです。
以下、エディーさんの主張を要約してみます。
- 日本の選手は、高校の部活動で毎日4時間も練習する
- すると勉強時間がなくなり、学力が上がらない
- しかしスポーツ推薦で一流大学に入り、そこでも勉強せずにラグビーだけをする
- その後一流企業に就職し、楽な仕事だけをこなして、ラグビーをさせてもらえる
- 成人になってからの練習時間が短い
つまり、日本のラグビー選手は、勉強すべき10代の頃に勉強せず、長い練習をします。そして社会人の選手になり、長いトレーニングをしなければならない時、今度はあまりしないのです。
(本書89-90頁より)
結局、
いちばん体力のある20代で練習時間が短い → 70~80パーセントの力でメニューをこなす
となっていると、エディーさんは主張します。
・・・努力は100パーセントのものでないと、意味がありません。100パーセントで行うからこそ、何かを吸収できるのです。
(本書90頁より)
これでは日本が、世界という舞台で勝てるはずがありません。
要するにエディーさんは、日本人は100パーセントの努力を行うべきときに70~80パーセントでしか行っていない、と言っているわけです。
スポーツよりまず勉強をせよ
ここからが、教育者エディーさんの真骨頂です。
エディーさんは、言います。
日本のスポーツ界について、大きな疑問を感じるのは、スポーツをする人が、勉強をしないことです。なぜ、このような傾向が風土として根付いてしまっているのか、私は理解に苦しみます。
(中略)
スポーツをする前に、基本的な学問はしなければなりません。私は数学と地理の教師だったので、なおさら強く思います。
(本書94-95頁より)
こう語ったあとに、エディーさんは、学問をおろそかにしてきて、スポーツで成功しなかったときどうするのか、と問います。
そして、こう言い切ります。
スポーツをする人間は、学などなくていい――。これほどスポーツやスポーツマンを侮辱した考えもないのではないでしょうか。
(本書95-96頁より/赤字はキビタン)
人間の基本は、学問教育にあります。
(中略)学問は人生をバランスの取れたものにします。
生活の管理や、人生に関する諸事全般をどのように進めていったらいいか教えてくれます。人としての基礎を固めてくれるのです。
今の日本におけるスポーツの地位、特に学校の部活動のやり方は、明らかに間違っています。
日本のスポーツ界はこれでいいのか?
ここに記したエディーさんの提言は、とても重要な意味を持つように、私は思います。
部活動等での指導における暴力は、いまだ後を絶ちません。
街中でいきなり若者に張り手をくらわせれば、当然、即逮捕です。
しかし、学校内での指導中に行われるものは、いっさい罪に問われない。
エディーさんは、言います。
「学問は人生をバランスの取れたものにします」
思うに、そのような暴力をふるう(言葉によるものも含め)“指導者”は、人間としてのバランスを著しく欠いているのではないでしょうか。
そのような指導者を生み出し、現状がゆるされている背景には、エディーさんが指摘するような日本のスポーツに対する間違った捉え方があるのではないかと思うのです。
最近は、スポーツで生徒を集める高校が増えています。
そこでは往々にして「勝利至上主義」が横行し、勝つためには張り手も辞さない、そんなやり方が“熱心な指導”とされてしまう。
ほとんど「病的」とはいえないでしょうか?
ほんとうに、子どもたちの幸せにつながるのでしょうか?
はなはだ疑問です。
ある留学生の言葉
私は以前、カナダからの留学生に言われた言葉が忘れられません。
「どうして日本では、あんなに国の大会が大事なの?」
一瞬、「何のこと?」と思ったのですが、要するに全国大会のことでした。
夏の甲子園に代表されるような、全国大会で優勝すること、日本一しか考えない、といったあり方。
それに熱狂する国民。
私も甲子園は大好きな一人ですが、それにすべてを賭けるかのようなスポーツのあり方には疑問を感じます。
少し話がラグビーからそれてしまいましたね。
今回は、エディーさんの本を読んで、あらためて印象に残ったことを書いてみました。
まとめ
エディーさんの主張まとめ
- 日本人が一番努力不足
- 100パーセントの努力をすべきときにしていない
- 日本の教育と社会システムのあり方に一因がある
- スポーツをする前に勉強せよ
- 勉強が人生をバランスの取れたものにする
私もスポーツをしてきたし、見るのも大好きな人間です。
だからこそ、馬鹿げた指導がいまだにはびこる日本のスポーツ界が、少しでも良くなっていくように願っています。
最後に、
がんばれ、ラグビー日本!